有珠山ブログ

本日は21年前に起こった有珠山2000年噴火について、

当時小学生だった私の体験談を交えてお話ししたいと思います。

 

2000年3月27日から火山性地震が活発化、

数日後の31日と4月1日有珠山西側の西山と金比羅山から噴火しました。

 

27日の夜中から断続的に続く地震は、

ドンッドンッと下から突き上げまるでリズムを刻むような感じで、

通常の地震とは全然違いました。

3月31日有珠山山麓噴火の様子

 

立ち上る噴煙は数百メートルに達し、

当時避難していた伊達市からも見ることが出来ました。

 

天を貫き空を覆わんと立ち上る灰色の煙は、小学生だった自分には

この世の終わりのように感じられ、火山噴火のスケールの大きさに

ただただ圧倒されていました。

 

小さな火口が次々と開き、周辺の町は火山灰に覆われ、

洞爺湖温泉街では洞爺湖に向かって泥流が流れていきました。

いくつもあった火口群は徐々にまとまり、

今の「有くん」火口、「珠ちゃん」火口となっています。

 

エメラルドグリーンに輝く「有くん」火口

 

その後は夏に向かって徐々に沈静化し、

夏休み中の8月には旧洞爺湖温泉小学校に

見学に行けるようにもなりました。

 

久しぶりの小学校は2階は無事でしたが、

1階は入り込んだ泥流でぐしゃぐしゃで、

体育館はあの日先輩たちを送り出した卒業式当時のまま、

椅子や飾りつけが大量の泥流に埋もれていて

悲しい気持ちになったのを覚えています。

 

9月ぐらいから避難解除が始まり私が自宅に戻れたのが10月で、

自宅は地殻変動の影響で細かい亀裂が入っていましたが無事でした。

 

金毘羅火口災害遺構散策路の公共浴場「やすらぎの家」に泥流が入り込んでいる様子

金毘羅火口災害遺構散策路の旧桜が丘団地と砂防ダム

 

次の噴火に備えての砂防ダム建設で町が狭まり、

かつての風景が思い出の中に消えてゆくのを思うと

どうしようもない寂しい気持ちになります。

旧洞爺湖温泉小学校跡に建設されたビジターセンター

 

それでも悪いことばかりじゃありません!

新たな観光名所「西山火口散策路」の誕生、

噴火の脅威を伝える「金毘羅火口災害遺構散策路」に

防災の大切さを学べる「火山科学館」、

火山灰大地を用いた農業など、

火山と共存するこの姿勢と取り組みを評価され

2009年日本で最初の「ユネスコ世界ジオパーク」認定を頂きました!

西山火口散策路の様子

 

皆さんもぜひお越しいただいて、

この「洞爺湖有珠山ジオパーク」の魅力を感じていってください!

 

2000年噴火から今年で21年がたちますが、私たちは今日も元気に暮らしています!

 

kisu