有珠山ブログ

みなさんこんにちは!

突然ですが、皆さんは地震などの災害で壊れた建物を見たことがありますか??

 

古い廃墟などは見たことがあっても、災害によって壊れた建物を見る機会ってなかなかないですよね?

 

私もなかったのですが、今日は有珠山の噴火によって壊れた建物を見られる「金毘羅火口災害遺構散策路」へ行ってきたのでご紹介したいと思います!

 

 

「金毘羅火口災害遺構散策路」は洞爺湖温泉街の近くにあり、自由解放になっているので誰でも見られることができます!

2000年(平成12年)の有珠山の噴火によって壊れた建物が被災当時のまま残されています。

 

 

入口には当時の様子がわかる解説があり、当時の噴火の様子や被災した様子などが詳しく載っています。

 

中へ入り、階段を下りていくと遊歩道になっており、

遊歩道の先には噴火の影響で被災した「桜ヶ丘団地」が残っていました。

 

近づいてみると・・・

 

窓ガラスは割れ、ベランダは曲がり、たくさんの土砂が部屋の中に入った状態になっていました。

 

当時、噴火によって噴石が飛散し、泥流が発生しました。

泥流は国道230号線にかかる橋を2つ押し流し、そのうち一つが87メートル流されて、

下流にある桜ヶ丘団地に激突しました。

 

その傷跡が今でも当時のままの状態で残されています。

 

 

 

団地を一周歩いてみると、おかしなことに気づきました。

本来は5階建ての建物のはずなのに、4階しかありません・・・

 

 

よく見ると1階部分は土の中に埋まっていました。

 

昨日まで住んでいた家がある日突然このような姿に変わってしまうなんて・・・

自然災害はとても恐ろしいです。

 

 

 

そのあと桜ヶ丘団地の反対側の遊歩道を歩いていくと・・・

 

 

当時、公共温泉として人気のあった町営温泉「やすらぎの家」がありました。

 

こちらの温泉施設も窓ガラスは割れ、建物は崩れ、施設の中は泥流に埋め尽くされていました。

 

 

今回、私は小さな娘と行ってきたのですが、

小さいながらも娘が私に「これ、こわれちゃったの??」と悲しそうな顔をして私に言ってきました。

 

「そうだよ、お山がドッカンして壊れちゃったんだよ」と伝えましたが、

小さな娘にはそのことがまだ理解できないようでした。

 

 

2000年の噴火が起きた時、当時私は小学生でした。

伊達市に住んでいたので直接の被害などはありませんでしたが、空が暗くなって火山灰が飛んできたことを今でも覚えています。

 

当時小学生だった私が大きくなって、今改めて自然災害の怖さや噴火の凄さを実感し、

火山とともに共存しているものの責務として後世に伝えていかなくてはいけないと思いました。

 

噴火はとても怖いものですが、その噴火があるからこその恵みなどもあり、生活が成り立っていることもあります。

 

 

私も自分の子供がもう少し大きくなった時、火山と共存するものとして必ず教えてあげようと思いました。

 

 

AIDA